学びをアップデートするだけで楽になる@姿勢改革実践家 小菅美由起

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人生は学びの連続だ。少しの視点を変えるだけで、人生は大きく好転する。逆もしかりだ。

私は小学受験をし、四條畷学園小学校に入らせてもらった。

 

習い事は英会話のみ。

書道やピアノ、バイオリンやバレエ、声楽、様々なことを放課後にしている子達がたくさんいた。

わたしは、週一回1時間の英会話の習い事以外は、掃除洗濯、買い物、料理、畑の世話が家庭での主な役割。二人のお姉ちゃんたちも当たり前にしていて、地元の友達はいなかった。

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友達の習い事がたまたまない日に鬼ごっこや探偵やドッチボールをして遊んでいた。

学校に行くことは当たり前ではなかった。習い事も当たり前ではなかった。育ててもらっていることも当たり前ではなかった。

 

違いがよろこび。それが今に生きている。いま、書道という芸術を学ばせていただいている。

きっと当たり前のように、何の疑いもなく学校に行って、言われるがまま習い事をしていたら、もっと習うということに消極的だったように感じる。

心豊かな個性美をこれからも楽しみに。

 

 

書道

文字ははじめ実用として生まれたが、文化の進展につれ美的に表現する方法が生まれた。

この美化された文字を書という。書道とはこの文字の美的表現法を規格あるしつけのもとに学習しながら実用として生活を美化し、また趣味として心を豊かにし個性美を表現していくことである。そしてその学習過程において人格を練磨し情操を醇化していく。よって書道は人間修養の一方法であり、古来中国では六芸の一つとして尊崇されてきた[1]。

六芸の語は戦国時代に現われ、前漢の武帝の時代まで、もっぱら六つの経典の意味で用いられた[1]。詩(『詩経』)、書(『書経』)、礼(『礼記』または『儀礼』)、楽(『楽経』)、易(『易経』)、春秋(伝が三つある)で六芸である。技芸の意味で六芸の意味が現われた初例は前漢武帝代に「発見」された『周礼』である[2]。後に『周礼』の権威が高まると、経典は五経、技芸は六芸と使い分けられるようになった。

『周礼』は、周代の制度を後の時代に想像・理想化して著したものと考えられている。その中で、身分あるものに必要とされた6種類の基本教養を六芸とまとめた。その「地官・大司徒」に、礼・楽・射・御・書・数を六芸とする。それぞれ、礼儀、音楽、弓術、馬車を操る術、書道、算術である[3]。同じことを、「地官・保氏」では、五礼、六楽、五射、五馭、六書、九数と列挙する[4]。

大司徒、保氏は『周礼』の中にある官職で、大司徒は、万民に六芸を含めた技芸や道徳を広めることを責務とする。その配下にある保氏は、貴族の子弟を集めて六芸を教える。こうした職務は歴史的事実ではなく、『周礼』の創作である[4]。だが、漢代以降長く周の時代の実際の制度だと信じられた。

『史記』孔子世家には、次のような逸話が語られている。孔子が一芸に名を成していないのは、世に用いられず、様々な芸を習い、多芸の身となってしまったからであり、このことを達巷の村人に、「(孔子は)一芸で名を成していない」といわれた。それを聞いた孔子は、「御(馬術)でも名を成そうか」といってみせた。鄭玄注によると、これは六芸の中で、御(馬術)が格下と認識されていたため、孔子が謙遜して言ったのだという。

Wikipediaから抜粋

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書く。それは新しい何かを発見する作業。

墨。その香りはどこか懐かしい。

紙。一枚一枚こころがこもった和紙。

筆。繊細な生き物の息吹を感じる。

文鎮。いつもありがとう。

墨をすり、紙に文字を書く、この単純な作業が人生を変える。

意識が変われば世界が変わる。

 

少しの角度で、より良くなれる。

 

姿勢改革実践家 小菅美由起

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