9年間の想い出以上に

shijyounawate

小学校と中学校で育まれた自身。

そこに形成される私。

そんな時間を四條畷で過ごした。

何がしたいのか。

何を思い何を考えていたかを思い出す時、

その時間は、今につながる。

懐かしくてあたたかい。

誰にでもきっとある空間。

そう。気付いた事がある。

刹那に生きる仲間と過ごしていた。

ネットワークという超共感システムにある社会の変化は拡大しただけで、基本的な共感システムは変化していないように感じる。

四條畷で過ごした9年間はまるでサスペンスだった。

刹那。永続性がない。

瞬間と永遠はとなり合わせにあり比較する対象にはならないと思う。

しかし刹那はどうだろう、私にとって9年間は刹那だった。

気付く、知る、動く、できる、つくる。

このサイクルで活動していなかった。

考え、悩み、ぶつかり、離れ、まとまらない。

伝え方や言葉ばかりをさがしていた。

自分に気付く事をせずに。

人それぞれのカラダは人それぞれの自分でできているしつくってきている。

刹那の9年が今という瞬間に永遠になる。

自分の目的は何か。周りで何が起こっているのか。

自分自身の想いに気付くと道はひらける。

今までに感謝し今からに挑戦するからこそ今に満足できる。